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2009年7月12日 ツール第9ステージ : サン・ガデン 〜 タルブ
今日のハイライト:
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スキルシマノの今西コーチの
レポートに、10日のステージでフミが不調だった旨書かれていた。(11日には復調した、という内容。)本人に原因を聞くと、連日の暑さで
飲む水の量が半端ではないので、水あたりに近い状態になることがあるようだった。 写真はスタート地点で。「オハヨーゴザイマス」と日本語でフミに声をかけるフランス人男性がいて、 ぽっと暖かいムードに包まれた瞬間。この男性、奥さんが日本人の方で、日本語が話せるらしかった。ご夫婦と お子さんの3人で今日は観戦。丁度ご主人の実家に遊びにきたらツールのスタート地であることがわかり、 駆けつけたそうだ。 そのほか子供のファンからサインをねだられるシーンも。フミによると、少年時代、宇都宮でキアプッチからサインを もらおうとしたのになかなかもらえなくて、すごく悲しい思いをしたそうだ。なんとか最終的にもらえたものの、 なんとも適当っぽかったのを今でも忘れない。 今フミは立場が変わってプロ選手としてファンの前に姿を現すようになり、やはりサインにはすべて応じることはできないと 思うもものの、それでも子供の頃の悔しい記憶を胸に、サインが可能な状況であれば、なるべく応じたいと思っている そうだ。 ちなみに、私自身はツール・ド・ロマンディでフミが惜しくも区間優勝かなわず2位になったステージを目撃している。 しかし翌日の山岳ステージでフミはドロップアウトに。 2日間で好調と不調が極端にやってきて、不思議に思っていたのだけど、今日その謎が解けた。 フミいわく、「山頂ゴールなら問題ないけれど、いきなり上りが始まるステージは自分に合わない」のだそうだ。 確かにロマンディのくだんの山岳ステージも、途中で一気に上りがくるコース。からだがまだリズムをつかむまえに 上りだったのでうまくいかなかったという。 今日のステージも前半に上るコース。つまり、すごく得意という コース設定ではなかったけれど、それでも大きな崩れもなく、この日を終えた。 |
■ | 今日のスタート地点で、エウスカルテルの広報ヘスス(右)はこんなふうに言っていた。 おとといはマルティネスで5位。昨日がアスタルロサで3位。だから今日は1位しかないね。 残念ながら、区間優勝はならなかったものの、マルティネスが山岳賞首位に。レース後、チームはいつになく 晴れやかな雰囲気になっていた。 もっとも、もちろん、いいことばかりでない。どのチームもグッドニュースとバッドニュースが合い乱れるのがビッグレースの 掟。 エウスカルテルは、スプリンターのコルド・フェルナンデスが昨日リタイアした。 3度も落車して、タイムアウトになって しまったそうだ。「だから、スプリント勝利の可能性はなくなって、山岳を狙うしかないんだよ」と。 |
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イエロージャージを着用すると、一気にジャーナリストが群がって大変なことになる、のが普通だけど、
過去のイエロージャージ着用者に比べて、なぜか注目度がさほどでもないノチェンティーニ。 のんびりとイタリア人同士の会話ができてしまうほど放置状態。 本人はあと1週間はマイヨを守りたいと言っているので、今後着用期間が長くなれば、 記者たちから取材攻勢がもっとかかるかも? 過去、ヴォクレール、ヴァスールなどもフロック視されて、最初は「きっとすぐに手放すさ」と思われていた。 けれど、山岳などで踏ん張る姿に記者たちも徐々に賛辞を投げかけるようになったのだった。 |
スタート
本日優勝のフェドリゴがスタート
フミがいく
幸也選手がいく
上の写真を撮影したあと、ツーレは先回りしてコースの先へと走る。そこで再びプロトンが行くのを観戦。
幸也選手が右端に。 ツーレはAllez Allez Yukiya Tシャツを着ていたのだけど、気づいてくれたかな?
1500m to go ) ゴール手前1.5km地点でツーレは観戦。再び少し高いところに上って撮ったらしい。上るのが大好きな人。
400m to go ) この日はスタート地点からゴールまで列車で移動。少しダイやが遅れてしまったため、ゴール地点にたどり つかないうちにトップの2人がきてしまった。ラスト400m付近で観戦することに。
ラスト1.5km地点で。幸也選手が通過。先頭から19分弱遅れ。
同じ地点。フミが通過。トップから25分程後。
フレイレは、後続集団のトップでゴール。山岳に強いスプリンターぶりを発揮した。 しかし、相当必死でいったのだろう。レースが終わって結構経ったのに、かなり疲れた表情だった。
ゴール直後のフミ。疲労困憊という表情でなく、むしろ余裕すらあった。 体力を3週間に分配し、計算しながら走っているのかな、と思った。
ちなみにこの日、帰りがけに東洋人3人組の男性を見かけた。駅で再び見かけたので声をかけることに。 この話はいずれまた、Diaryにでも。